能『俊寛』と面
『俊寛』という能の演目があります。
あらすじはざっくりいうと
平家打倒のクーデター計画が露見し、鬼界島に流罪となった俊寛(シテ)・成経(ツレ)・康頼(ツレ)の三人は、この最果ての地で、遠い故郷を思い出しては今の境遇を嘆いていた。そこへ、赦免を知らせる使者(ワキ)が到着するが、赦免状には成経・康頼の罪をゆるすとあるばかりで、俊寛の名がない。じつは、俊寛ひとりだけは島に遺して来いというのが、赦免使が受けた命令であったのだ。絶望する俊寛を尻目に二人は迎えの船に乗り込む。自らも船に乗ろうとすがりつく俊寛であったが、力に任せて追い払われる。船は出発し、俊寛は絶海の孤島にただひとり遺されて、去りゆく船を見送るのであった。(俊寛 銕仙会 能楽事典より)
三人が同じ罪で同じ島へ島流しにあって、そして同じように恩赦が出たのに、どうも俊寛だけ流刑地の鬼界島に取り残されてしまうわけです。
この鬼界島は鹿児島県・喜界島と見なされることが多いのですが、僕のいとこの奥さんの祖母がこちらにご在住らしく、「いや喜界島って本当に人住んでるのか!」とつい突っ込んでしまいました。(失礼。。七千人弱がいらっしゃるそうです。)
さて、この能「俊寛」の見どころは、俊寛の名前がない赦免状を何度も何度も、何も書いてない裏面まで見返し、そして悲しみのあまり赦免状を床に投げつけ、最後には船にも這う這うの体でしがみつこうとする場面でしょうか。
始めて僕が俊寛を観たとき、人生最大の「人間の孤独」に対面すると人はこうなるのか、というのが本当に印象に残ったのを覚えています。
能の前半では俊寛を含む三人が何もない鬼界島で、小さい寺社を立てて巡礼として拝んだり、水を酒として昔話をしたりする場面が描かれます。人は何もなくても、人とのつながりがあれば生きられる、ということが伝えられます。僕も大学院の研究室があまりもつらくてもう辞めたい!と思ったときに助けてくれたのはやっぱり同期で、何度も銭湯入ってからラーメンを食べて愚痴を共有したものでした。
そこから能の後半で他の二人だけが恩赦され、都に戻ることが許されます。そして俊寛はこんな都から遠く離れた南の島にたった一人で取り残されるわけです。いや、人とのつながりがあれば生きられるとか散々伝えておきながらこれですよ。絶望すぎません?そりゃ赦免状も死ぬほど見返して、投げつけますよ。急激な絶望への落差、これこそがこの演目の作者が描きたかったこととしか思えません。
非常に哲学的なテーマを含んだ、ある意味能らしい演目ではないでしょうか。
ここで使われる能面(面・おもてと通常呼びます)は『俊寛』という面を使います。多くの演目はいくつかの演目で面を共有するのですが、ここでは専用の面を使うことになっています。
こちらの面、あえて下向きの写真を引用しました。その視線の先には自分の名前だけが書いていない赦免状があるのです。この角度から見ると、ますます、先ほどの話から、真の絶望に立たされた壮年の男の悲しみが際立っているように見えませんでしょうか。顰められた眉、半開きの目、言葉を発せないほど呆然とした口、どれをとってもその瞬間の、絶望の淵の俊寛がよく表現されていますね。これがまた舞台だとさらにその表情が際立つんですよ!
ふと思い出したように俊寛の面を見返すことがあります。そのときって、真に自分には何が必要か、を考える瞬間なんですよね。演目を観た後にも観客に深い問いを投げかけ続ける、非常に良い演目ですのでご紹介してみました。